ちょっといっぷく 第98話
第98話 昭和生まれの歌(2)
身近なところでは、甲飛予科練出身の金子識(金子書店)君や、予備学生出身の小田浩爾君は、航空特攻の生き残りである。
戦争という国難に遭遇した私たちの年代は、身を挺して国のために戦ってきた。
特攻隊で散っていった若者もいる。あのけなげな姿を思い浮かべれば胸がしめつけられる。いちずに死に赴き愛する人のために殉ずる滅私と犠牲の神のように気高い気概、祖国の難を救おうと思う心に、寸分の偽りはない、多くの、しかも最も優秀で春愁に富む若者たちが死んでいった。
戦争を美化する気は毛頭ない。わが子、わが孫たちを再びこのようなむごい境遇にさらすことは、断じてあってはならないと心底から願っているのである。
さて、10数年も前であろうか、『大正生まれ』の歌をわれわれの仲間で絶唱した時期がある。この歌は、望洋会仲間である小田浩爾君の、大学時代の同級生が作詞作曲したらしいのだが、岩波ブクレット「戦後意識の変貌」に掲載されていることを初めて知った。
1番 大正生まれの俺たちは/明治の親父に育てられ/忠君愛国そのままに/お国のために働いて/みんなのために死んでいきゃ/日本男子の本懐と/覚悟をきめていた/なあお前
2番 大正生まれの青春は/すべて戦争のただなかで/戦い毎の尖兵は/みな対象の俺たちだ/戦争迎えたその時は/西に東に駆けまわり/苦しかったぞ/なあ お前
3番は日本再建のためにがむしゃらに働いたこと、4番は60歳をこえて可愛い孫もいるけれど、まだまだがんばらなくちゃと歌う。
思えばわれわれの人生は『大正生まれ』の歌そのままだった。
ところで、『大正生まれ』の歌、昨年5月、カネボウ元社長故永田正夫氏の「お別れの会」で、永田氏の同窓の友人が弔辞でこれを朗じたので驚いた、という話がある新聞に掲載された。ただしこちらは『昭6年生まれ』、昭和6年生まれの歌だったというのだが…
昭6生まれの俺たちは
戦後のショックの打撃受け
教育改革ただなかで
新制高校大学と
ろくに授業も受けられず
バイト見つけに駆け回り
空しかったな なあお前
昭6生まれの俺たちは
学校出たら就職難
やっと見つけた職場では
企業戦士と煽てられ
経済大国建設に
ただがむしゃらに50年
そろそろ遊ぶか なあ お前
「歌は世につれ世は歌につれ」まことに言い得て妙である。
この当時の人達は、学徒動員で工場の昼休みの時間に、女子挺身隊とともに『あゝ紅の血は燃ゆる』を熱唱したのではあるまいか。
花もつぼみの若桜
五尺の生命ひっさげて
国の大事にじゅんずるは
我ら学徒の面目ぞ
あゝ紅の血はもゆる
2014年12月9日