ちょっといっぷく 第66話
第66話 5年後こうなる(続)
不良債権について。
日本経済沈没の理由とされる不良債権問題は解決しないだろう。それでもみんな幸せである。
昭和20何年、昭和30何年のころ、はっきり言えば銀行が貸している金は全部「不良債権」だった。
日本中貧乏で、日本全体がどうなるかわからない状態だったのだから、そんな相手に貸せば戻ってくるかどうかわからない。昭和25年から朝鮮戦争。米軍は追い詰められて破滅寸前、あの時スターリンや毛沢東が北海道や九州を奪うことは十分にあり得た。
だから日本の株は買えたものではない。会社の設備投資に融資をするなどとんでもないという状況だった。それでもみんな「頑張ろう」と思って貸していた。
日本を復興させたければ、そうするしかなかった。つまり、終戦直後の昭和20年から30年後の貸し付けは全部、貸し付けた時は不良債権。
だが、10年経つとそれらの大部分は優良取引先の優良債権になった。
日本という国家が衰亡していけば、優良債権もやがて不良債権になる。反対に日本国家が立ち直っていけば、不良債権が優良債権にひっくり返る。
だから「あまり慌てるな」ということである。
不良債権かどうかはバランスシートの表面だけで決めるのではなく、一つ一つ現実で決めるのである。
というのだが、我々の実体験からいうと、瀕死の企業を救済するためには、ドンドン金(輸血)を注ぐ必要がある。ただし、その企業経営者の識見と覚悟、今は悪いが、やり方次第で十分再生出来るという見通しがあればの話であってその判断がむずかしい。
銀行は十分な保全を確保できなければ、金を貸さないのではなく、その企業の将来性を考え、いけるという判断が立つなら多少のリスクはあっても融資すべきなのである。
それが本来の銀行の使命であり、生きた金融であると思うのだが如何であろうか。
これからの新産業について。
そもそも産業とはなんであろうか。最初は「趣味」と言われる。それを売り出すと「思いつき商売」「個人商売」と言われる。それでだんだん売れ出して会社をつくると「ベンチャー・ビジネス」と言われる。同業者がたくさん増えると「産業」という。同業者が増えるから「産業」になる。
こういう観点から周囲をみわたせば、新しいビジネス・チャンスはいくらでも転がっている。
追記
去ル日、カツテノ「生キ残リ会」デトモニ行動セシ仲間ノ一人ト会ウ。
彼イワク「今ヤット前ヨリ良イ生活ガデキルヨウニナリキ。コレスベテミナサンノオカゲナリ」ト。コノ人、被災時「被災セシ者ノ気持チハ、被災セシ者ノミニシカ分カラヌ」と声高ニ激シテ主張セシナリ。コレヲ聞キ、我レ黙スルノホカナカリキ。
衣食足リテ心ニ余裕アリ、ヨウヤクニシテコノ境地ニ達シタルカ、我レコノ言葉ヲ持ツニ久シ。
東奔西走ノ当時ヲ思イウカベ、欣喜シテ万感去来スルモノハ何ゾ。スナワチ遂ニソノ赤心通ジタレバナリ。
復興ニハ謙虚サト感謝ノ念大切ナリ。
コレナクバ、人ノ支エモエラレズ、運命ノ神モ微笑マザルベシ。
コノ原点ニ到達セシ彼、再生スルコト必定ナラン。
ココニ復興ノ曙光ヲ見テ、ヒタスラ今後ノ健闘ヲ祈ルノミ。
かのチャップリン氏は出演した映画「ライムライト」の中で言う。
「生きてくには、三つのものがいる。一つは希望。一つは勇気。そしてもう一つはサム・マネー」と。
マネー(金)ではなく、サム・マネー(いくらかの金)というところにチャップリンの哲学がある。
多くを望まずいくらかの金があればいいと考えればこの世は幸せ。肩肘張らなくても悠々たる人生が開けるのではないか。
(前島原商工会議所会頭)
2003年6月3日