ちょっといっぷく 第64話

第64話 島崎藤村抄

前号嬬恋村訪問記でちょっと触れた島崎藤村のことを記したいと思う。

藤村は明治5年長野県に生れ、昭和18年72歳で他界している。

藤村は日本現代詩の始祖といわれ、純粋な詩人であり、青春の情熱を完全に燃焼しきった。この藤村の影響下に土井晩翠・薄田泣菫・与謝野晶子・蒲原有明・さらに降って北原白秋・三木露風・石川啄木といった新詩人が続々と誕生してくることになる。

意外に思うのは、藤村は30歳にして詩と訣別している。そして小説家へと転進するのだが、その著「夜明け前」は維新変革30年のなかにこの国の動乱や推移を描いた歴史小説で、最高傑作といわれる。また、藤村の作家としての地位を確固不動のものにした「破戒」がある。

小説家としても日本の近代小説を切り開いた先駆者だった。

人口に膾炙され、藤村詩の一節なり一行なりを記憶し、口ずさむ人は多かろう。

『小諸なる古城のほとり』

小諸なる古城のほとり

雲白く遊子悲しむ

緑なすはこべは萌えず

若草もしくによしなし

しろがねの衾の岡辺

日に溶けて淡雪流る

あたたかき光はあれど

野に満つる香も知らず

浅くのみ春は霞みて

麦の色わづかに青し

旅人の群れはいくつか

畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば浅間も見えず

歌哀し佐久の草笛

千曲川のいざよふ波の

岸近き宿にのぼりつ

濁り酒濁れる飲みて

草枕しばし慰む

 

斎藤孝著「声に出して読みたい日本語」では藤村の『初恋』を取り上げている。

まだあげ初めし前髪の

林檎のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛の

花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて

林檎をあわれにあたへしは

薄紅の秋の実に

人こひ初めしはじめなり

わがこころなきためいきの

その髪の毛にかかるとき

たのしき恋の盃を

君が情けに酌みしかな

林檎畑の樹の下に

おのづからなる細道は

誰が踏みそめしかたみぞと

問ひたまふこそこひしけれ

 

『椰子の実』

名も知らぬ遠き島より

流れ寄る椰子の実一つ

故郷の岸を離れて

汝はそも波に幾月

 

この歌は、海辺に流れ寄った椰子の実に寄せて、人生流離の思いを歌った詩である。朗誦するによい佳篇で、作曲されて広く歌われている。(日本の詩歌・中央公論社の解説)

これには裏話があって、椰子の実が伊良湖岬に流れつくことを知友の柳田国男が藤村に話し、それを素材にして作った。つまり一種のフィクションによる作だった。というのが真相のようである。

藤村詩は、一語一句切り離してしまえば格別異なった言葉でもなくただその言葉だけのものが、その言葉が一句につづけられ、二句につづけられて、一節となって格調をととのえてくると、実に溌刺たる感興が盛り上がってくる。(河井酔茗の解説)

みずみずしい青春の歌を声に出して読み、若かりしころの追憶にしばし耽りたまえ。

(前島原商工会議所会頭)

2003年5月21日

前の記事

ちょっといっぷく 第63話

次の記事

ちょっといっぷく 第65話