ちょっといっぷく 第55話
第55話 突入せよ!「あさま山荘」事件
事件は約30年前に起きた。1972年(昭和47年)2月、当時の「連合赤軍」の兵士5人は、警察からの追跡をのがれ、長野県軽井沢にある河合楽器の社員保養所「あさま山荘」に立てこもった。
長野県警、応援にかけつけた警視庁機動隊との間で激しい銃撃戦が始まったのである。
5人は管理人の夫人を人質に取り、ライフル銃、散弾銃、35口径拳銃や鉄パイプ爆弾で抵抗した。
2月28日、突入の命令が下り「モンケン」と呼ばれる重さ1トンの鉄球をクレーン車でつるし、この鉄球を山荘にぶっつけて山荘の壁を破壊し、破壊した穴から催涙弾を、さらに高圧の水を放水して機動隊が突入。5人を逮捕すると共に人質を無事救出した。
この状況はテレビで中継時間10時間余りにわたって全国民の前に一部始終が報道され視聴率89.7%に達したという。
この事件の内容は、その時の指揮官であった佐々淳行氏の手によって『連合赤軍「あさま山荘」事件』という文庫本が発行され、さらには昨年5月、役所広司主演による『突入せよ!「あさま山荘」事件』が全国東宝系の映画館で一斉に上映された。
死者3人、負傷者27人、動員された警察官のべ12万人が10日間、いかに戦ったのかの一部始終を赤裸々に明かしている。
JNNのニュースの森、6時半のテレビで『突入せよ!』の映画を小泉総理が鑑賞した。と報道、首相談話として「敵は正面だけではない。内部にもある。」と言っていた。
当時の丸山参事官の言として、「真の敵は 一にマスコミ 二に警察庁 三四がなくて 五に連合赤軍」とあったが、小泉首相は長野県警と警視庁との相剋を言ったのだろうか、あるいは、自分自身になぞらえて、抵抗勢力を目指して言ったのだろうか。
文庫本や映画でも書かれているが、官僚組織を平時から危機へ切り換えるのがいかにむつかしいか良く理解できた。
あの頃は、マスコミや世論はどちらかというと学生の反体制運動に同情的で、警察、とくに機動隊は権力悪の権化みたいな扱いをうけていた時代だった。
「あさま山荘」事件が終わって10日ほどたち、捕まった連中が14人の仲間がリンチで殺された。と自供した。
供述どおり次々と遺体が発掘されるに及んで、日本国民は唖然とし、嫌悪し、憤激し、国内における極左過激派の革命闘争は完全に世論の支持を失い、急速に衰退していった。 -つづく-
(前島原商工会議所会頭)
2003年3月1日