ちょっといっぷく 第53話
第53話 あおげば尊し
今年の1月16日の新聞に、森繫久彌が倒れたと報道された。滞在先の沖縄県で心筋こうそくで倒れ、一時危険な状態だったという。大晦日から元日にかけての治療の結果、小康を得て近く退院できるらしい。
彼は旧制大阪府立北野中学校(現北野高校)の12期先輩だから当年89歳のはずである。
彼が10年前、母校の創立120周年に寄せて、中学時代の思い出をCDに吹き込んでいる。ご披露したい。 80年も生きて、なお、わが心の底にかそかに宿る思い出は中学生の頃だ。その母校が120年を数える。
忘れられない友も大半は逝き、年をとればいかにもわびしい毎日だが、そんな中でもキラリとひかる青春のかんばせ。とでも言おうか…。私はその得がたい追慕に老いの身を忘れるのだ。
どういうもんだろう。叱った先生ばかりが懐かしい。ぶっ飛ばされて鼻血を出しながら謝らなかった私は、いずれ卒業の時に仕返しをしてやろう。とひそかに鼻血を吹いたが、それもこれもどこかへ吹っ飛んで、ただ懐かしさだけが残る。叱らなかった先生はほとんど覚えていない。叱った先生は克明に覚えている。西陽の射す教室にひとり残されて、私は遂に泣いて両手をついて先生に謝った。
顔を上げれば涙にうるんだ目に、先生も泣いているのを見たのだ。
西陽も落ちて教員室で、先生のご馳走してくれた素うどんが、また涙が出るほど旨かった。爾来わたしはうどん屋でも素うどん以外は食べなかった。
そのうどんの残りつゆの上に、先生の顔が浮いてくる。ああ、その先生方もほとんどの方が黄泉の国へ先立たれた。懐かしくも涙のうるむ母校、北野中学校。森繫久弥(45期)
昔の先生は、厳しくもあり、怖かったが、その根底には常に暖かい愛情があったような気がする。だからいつまでも慕われるのだろう。
昨年4月から9月まで朝のNHK連続テレビドラマは『さくら』であった。
高野志穂が演じるエリザベス・さくらはハワイ生まれの日系4世、岐阜県飛騨高山の私立中学校に英語の指導助手として赴任する。
さくらが、この中学校をやめてハワイへ帰るとき、あまり出来のよくなかった(?)教え子達が、わかれに合唱したのが、なんとも懐かしいあの「あおげば尊し」であった。年配の人は記憶にあると思うのだが、卒業式では「蛍の光」とセットで必ず歌って先生と友に別れを惜しんだものである。
(一)
あおげば とうとし わが師の恩
教えの庭にも はや いくとせ
おもえば いととし このとし月
今こそ わかれめ いざさらば
このシーンを見ながら、過ぎし日を思い出し、一緒に口ずさみ、涙した。
(元島原商工会議所会頭)
2003年2月18日