ちょっといっぷく 第3話
第3話 弘安の役
来年のNHK大河ドラマは「北条時宗」だそうだ。
北条時宗こそ鎌倉幕府第8代執権、弘安の役(元寇)の当事者であった。
今から700年以上もむかし、アジアからロシア、ヨーロッパをふくむ蒙古帝国・元があった。
第5代皇帝フビライ(ジンギス汗の孫)は日本を支配するために、なんども使いを出して拒否された。
元は四万の軍をもって対馬・壱岐を襲い博多に上陸して激戦が繰り広げられた。これが文永の役である。
7年後、14万の大軍が4,400隻の軍船を仕立ててふたたび日本に押し寄せてきた。これが弘安の役。
弘安の役では台風(俗に神風といわれる)が吹き荒れ、元軍のほとんどは、1日にして長崎県鷹島付近の海のもくずと消えた。
元の全軍が上陸していたら、博多をはじめ日本はどうなっていたか分からない。まさに国難であった。
たまたま台風などの運にめぐまれたとはいえ、指導者である時の執権、北条時宗は豪胆そのものであり、防戦にあたった将兵、国民一人一人がそれぞれの部署で全力をつくして挙国一致、難にあたって国を守った。
頼山陽は、このことを「蒙古来」の詩でうたいあげているが、その中の一節
相模太郎 胆(たん)
甕(かめ)のごとし
防海の将士 人各々力(つと)む
ここに忘れ得ぬ思い出がある。
島中時代、1年生のとき、いまは故人の曽増先生から漢文の時間にこの詩を習ったのだが、ここの前に「これを持(じ)し来り擬(ぎ)す 男子(だんじ)の国」という文句がある。私が指名されてこの意味を正解したところ「アッ そうだ」と片手をあげた独特のポーズでほめられたのを覚えている。
いまだから言えるが、実は姉が島原高女の3年生で、われわれの漢文教科書とまったくおなじものを、さきに習った姉が教科書に鉛筆で注釈しているものを失敬したものであった。(島原商工会議所会頭)
2000年(平成12年)6月16日