随筆~あれこれの記~2(平成27年元旦号)

勝つまであきらめなければ勝てる

 

これはスポーツだけの世界の話ではない。先述した小林一三氏や稲盛和夫氏もそうであった。前途にいくら紆余曲折があろうと、思い続ける意志を貫き通せば、いつか実現するという人たちの話である。

もう一人登場してもらおう。

天皇陛下の執刀医を務めた心臓血管外科医、順天堂大学医学部教授天野篤さんのことである。

もちろんこの人はたぬきの前金物語とは全く関係はないのだが、遠回りをしながら成功したケースがよく似ている。

この人、高校は埼玉県立浦和高校(秀才ぞろいの進学校で有名)の卒業。高校時代は柔道部で、勉強よりマージャンやパチンコに没頭。高3になって、古典は100点満点で5点だったという猛者。三浪して私大医学部へ進み、天皇陛下の心臓手術を担当することになる。

本人はいう、高校時代の手動レバー式パチンコの腕前が確実に手術に生かされたとか…。

この人たちに共通していることは「回り道をした人間は強くなれる。そして人に優しくなれる」ということ。

1回、2回の失敗は恐れることは無い。失敗の経験は成功の肥やしになるのだから。

 

稲盛和夫という人

 

多くの日本人に、その経営手腕を知られた有名人であり、数々の本を出版されたり、現在は若手経営者を育てるために塾を開き、日本国内はもとより中国をはじめ、全世界にその塾生がひろがりつつあるという。

松下幸之助とならんで戦後と平成を代表する哲人経営者である。1932年、鹿児島県生まれ、当年82歳のはずである。

1995年、即ち平成7年だったと思う。20年近くも前の話になるが、東京皇居前の東京會舘で日本商工会議所の総会が開催され、わたしも島原商工会議所会頭として参加した。

稲盛さんは当時、京都セラミックの社長や第二電電を設立。会長をされたり、盛和塾を開講されたり、本人はあまり乗り気でなかったようだが、京都商工会議所会頭、日本商工会議所会頭に就任されており、わたしたちにとっては正に雲の上の存在で、場内ではもちろんひな壇に座られ、遠くから拝顔するのが精一杯であった。会議がおわったあと、会館内で懇親パーティが開催され、その席でやっと身近に声咳に接するとこができた。一見実に控えめで、失礼を省みず言わせてもらえば、村夫子然としたご仁で、決して威張るような態度はみじんも感じられなかった。

このことがあって、特別に気がけてその行動を見守っていたが、その燃えるような闘魂の凄まじさには圧倒されてしまった。

経営とは、成果がすべてといわれる。主だった業績の一端をこの人の本を参考にして書く。

 

◇日本航空の再建

 

2010年2月、政府と企業再生支援機構からの要請を受け、負債総額2兆3千億円、一般事業会社として日本最大の倒産劇を演じ、会社更生法の適用を受けた日本航空の再建のため、会長に就任した。

それまでに京セラとKDDIという、二つの違った業種の会社を創業し、両社合わせれば売上5兆円に迫るまでの実績を残してはいたが、航空運輸事業については全くの門外漢であった。

倒産し、悲嘆にくれていた日航の社員に最初に訴えたのは、新しい計画や目標が成就するかどうかは不屈不撓の一心、つまり、どんなことがあろうとも決してくじけない心にある。ならば、つねにそれを自分に言い聞かせよ。気高い理想と高邁なビジョンを強烈に心に描き続けよ。

日本航空という会社の目的は、全社員の物心両面の幸福を追求するその一点にある、とも言った。

これによって、多くの社員が「日本航空はわれわれの会社なのだ。そうであれば、必死になって会社を守り、立派にしていこう」と奮い立った。

要因として、稲盛さんは自分が高齢であるにもかかわらず、だれもが困難と考えていた日本航空の再建を無報酬で引き受けたこと。そして、そのような姿勢で懸命に再建に取り組むわたしの姿を見て、労働組合を含め多くの社員が「何の関係もない会長があそこまで頑張っているのなら、われわれはそれ以上に全力をつくそう」と思ってくれたのであろうと述べている。

2011年3月に終了した新生日本航空の再建初年度の業績は、売上1兆3622億円、営業利益1884億円で、会社創設以来、最高の実績だった。再建2年目は、東日本大震災の影響で、大幅な旅客の減少が続いたにもかかわらず、経営体質の改善につとめ、収益性を大きく向上、売上1兆2048億円、営業利益2049億円を達成した。これは世界の大手航空会社のなかで最高の収益性であったばかりか、全世界の航空会社の利益合計のおよそ半分に相当した。

そして、再建3年目も好業績を続け、2012年9月には、東証に再上場を果たし、再生支援機構からの出資金である3500億円に加え、約3千億円をプラスして、国庫に返した。

わずか3年で世界最高の収益性を誇る会社に生まれ変わったのである。なにがそうさせたのか。稲盛さんは、変わったのは『人の心』であると説く。心が変わるだけで、かつてないほどのすばらしい企業再生が可能になった。さらに「この日本航空の再建を通じて、人間の心がいかに偉大なことを成し遂げるかということを証明できたと思っている。日本航空がそうであったように、一人ひとりの思いと行動を変えれば、この国を、世界を一変することになるはずだ」。

実績に裏付けされた言葉には、千金の重みがある。

 

◇中国で読まれる「生き方」(サンマーク出版刊)

 

「人は何のために生きるのか」ということについて、稲盛さんは京セラ、フィロソフィ=稲盛哲学をお持ちで、その持論を説かれた本である。この本は、中国で翻訳出版され、すでに販売部数が130万部を超えているそうだ。海賊版も合わせるとその何倍かになるという。

いま、中国では多くの企業経営者がこれまでの利己的な経営のあり方を見直し、利他の心という言葉を口にするようになっているという。世界で最も「強欲な資本主義」の道を突き進んでいると思われている中国でである。北京大学の院長からは、この『生き方』をテキストとして使いたいとの申し出まであったそうである。

 

◇盛和塾について

 

1983年から若い中小企業の経営者たちにもっと会社を立派にしてほしいと、ボランティアで経営のあり方を教える活動を20年間も続けている。現在、盛和塾は、国内54塾、海外16塾の計70塾を超え、塾生数は8千人を超えるそうだ。そして、それらの塾生企業の売上を合算すれば、推定で43兆4500億円、正社員・パートをあわせた総従業員数は180万人にも達しているという。

稲盛流経営の源流は、権力によって人間を抑圧したり、金銭によって人間の欲望をそそるような経営では一時的に成功を収めても、いつか必ず社員の離反を招き、破綻する。企業経営は永遠に繁栄をめざすものでなければならず、それには『徳』にもとづく経営を進めるしか方法はない、と説く。

働く従業員が変わった。それがJALを救ったのである。

 

む す び

 

稀代の名経営者と言われる人たちには、それぞれに哲学があり、それには共通点があるように思われる。

松下幸之助は、「ものをつくる前に人をつくる」と言っているし、出光には「資本は人なり」の思想があった。京セラではアメーバー経営手法があるが、この目的は、企業のなかで天才をつくろうとしているのではない。「普通」の人々に知恵を十二分に発揮させ、「普通」以上の成果を生み出そうという考えである。この思想は人間中心であり、人間を大切にしている。人を甘やかすのではない。人々にシビアに要求し、それを通じて人を育てるのである。個々の社員が「普通」以上の仕事ができるようになり、全体が「俺たちの会社」という一点に凝縮されることで物凄いパワーとなっていく。

つまり、この人たちに共通する人間観は、人間が持つ無限の可能性に大きな信頼をおき、人間の強さに注目しながら、ドンドンその潜在力を引き出すことにある。

筆者の体験では、破産寸前の会社を再生させるとき、そんな高邁な経営理念があったわけではない。事業の規模は巨象と蟻ほどの違いはあるが、考えていること、やっていることは基本的には同じであると確認した。だから再生できたのだと思う。

長い経営者体験のなかで、意識する、しないにかかわらず、身に染み込んだ経営の王道とも言うべき、縷々述べた先達のやり方、考え方と大きな違いはなかったと自負している。

昨年6月、商工会議所懇談会の席上で、親交のあるMさんからこんな話を聞いた。

島原市がどんどん縮んでいく気がする。人口減と同時に老人が増えていく。老人は人口の数には入っているが、若い人ほど購買力はない。売上は加速度的に落ち込み、商店街も売上不振へ。若者の働く場所がない。あっても給料が安いので結婚もできない。結局、他所へ流出ということになり、人口減少に拍車がかかる。ある程度まで人口減少が続くと、復元力が難しくなる。結果、町がなくなるという危機感についての話があった。

この問題は、国にとっても未曾有の危機的状況であることは言うまでもないが、その解決方法はそれほど簡単ではない。結局、時間がかかるが、官も民も危機感を共有して、それぞれで出来ることを果敢に実行していくしかない。ならばわれわれ企業者はどうすればいいのか。企業が頑張って体力をつけ、新しいビジネスチャンスに挑戦して雇用のチャンスを拡大したり、自分たちの企業を魅力のあるものにすることだろうが、口でいうほど容易なことではない。だからといって手をこまねいて何もしなければ先行きは悲惨な現実しかない。

探せば、田舎だから出来る、いや田舎しか出来ないことがいっぱいあるのではないか。とにかく小さくとも出来ることをやろうとの思いで、わが社はその方向で一歩踏み出した。

「自分たちで地域を守り、育てる」という意識が大切だと思う。最大の危機を迎えて目覚めた民の力が芽を吹けば、やがて郷里を、或いは日本を変える大きな力になることは間違いない。

 

 

島原新聞 平成27年元旦号掲載