ちょっといっぷく 第88話
第88話 人生語録(その2)
■勝負が逆転するのは、苦しい方が頑張ったからではなく、むしろ優勢の側が安心感から油断や逆転されるのではないかという恐怖心をもつからなんです。 (将棋名人 大山康晴)
■「無心」とは、欲をたちきることはできない。
欲のあるままに欲から解放されることである。 (読売巨人軍監督 川上哲治)
■銀行が金を借りてくれと言うときに借りた企業は皆損をしている。銀行は金が余れば何とかして貸そうとする。阪急不動産の社長をやっていた時、会社へ行くと毎日いろいろの銀行の専務や常務さんが入れ替わり立ち代わり待ち構えているのや、こりゃ危ないと思ったから、金を借りて土地を買うたらいかんぜ。借金は返せというてスパーと全部返してしまった。石油ショックの1年前ですかね。
(阪急会長 清水雅)
■私は人を叱ったり、注意したりするとき、自分の呼吸の仕方がおだやかでのんびりしているかどうかをみます。そういう時の言い方には偏りがない。誠心誠意、平常心から出た注意であり𠮟責です。その場合は相手にとって素直に受け入れられるものであると思います。それを呼吸を乱したまま怒ったりするから、とりかえしのつかぬことになるのです。 (評論家 佐橋滋)
■皆さんが仕事に追われていたために、夫婦の間にわだかまりがあったのなら、いまがその償いをするチャンスです。夫婦の関係を一新し、奥さんの愛情を取り戻すための方法は、いまならお勧めするまでもないでしょう。昔のこととはいえ、皆さんは奥さんの愛情を勝ち取ったのですから、ここでは皆さんの記憶が役立つはずです。最良の方法は、夫婦で楽しめるスポーツ、趣味、観劇、レストランでの会食、旅行など、みなさんがこれまでしたいと思いながら、そのための時間がなかったことについて、何か新しい計画を二人で話し合うことかもしれません。
(キングクスレイ・ウォード著「ビジネスマン退職後の誇りある生き方」)
■紙一重で分かれる「生と死」「運と不運」はふだんからの情報収集とその判断力にかかわっている。そう思わないと努力のしがいを見失ってしまう。私のことを「運のいいやつだ」と棚ぼた式の男のように言うが、ぼたもちが落ちてくる真下までいく努力をしない奴には、決してたなぼたは口に出来ない。 (内閣官房長官 後藤田正晴)
■なまけ者やごまかしで生きている者には運は呼べない。(ヤクルトスワローズ監督 野村克也)
■最も長く生きた人は、最も長生きした人ではなく「生」を最も多く感じた人である。
(哲学者 ルソー)
■死は人生につきものの出来事であり、それを受け入れたうえで、一生の計画をたてれば、人生は喜びと美しさに充ちてくる。 (加賀乙彦著「生きるための幸福論」)
■すべてのものに終わりがある。
終わりがあることはよいことだと思う
日々終わりに近づきつつ思うことは
日々新たである
昨日より今日は深くものを見、その美しさを感じる
明日は今日よりも進歩する
日暮れはさびしいが楽しい
人の世を憂い、自分の生活を大切に生きたものだけに、その楽しさが与えられるだろう。
(岩波書店会長 小林勇)
■会社がつぶれるのは、バカが仲良くしているか賢い奴がケンカしているかのいずれかが原因である。 (呉羽化学会長 荒木三郎)
経営語録
■会社は本来つぶれるように出来ている。それを寄ってたかってつぶさんようにするのが経営である。 (グラフィック会長 山口美津男)
■私は「今が不況だと思うな」と社内に言っているんだ。これが普通だと思えとね。「悪いことはそう長続きしない」という人がよくいるが、そんなものは甘えだ。そのうちよくなるという根拠は何もないじゃないか。だから、今の環境で経営出来る体制をつくれと自分に言い聞かせている。
(三菱商事会長 田部文一郎)
■経営というものは、やはり一緒に仕事をする人間集団の勢いを保つところにポイントがある。
10の効率をあげられるのがわかった上で、9に抑え1割を緩みとして持っていられる企業は良い会社です。 (ウシオ電機 会長 牛尾治朗)
■わが社の成績は何かに挑戦して成功した人が第一で、何にも挑戦しないで失敗も成功もしなかった人が最低と言っている。挑戦をして失敗した人のほうが上です。 (京セラ名誉会長 稲盛和夫)
■再建策の決め手は、目標を決めたら一気にやるべきです。不良資産をズバリ切り落とす。これは勢いがないと出来ない。ズルズルやっていては深みにはまるだけです。(日立造船会長 藤井義弘)
■人の命が賭けられ、組織の命運が危機にさらされる非常事態が起きたら、癖があり、カドが立っても「できる人」「乱世の雄」型の人材、善良な人より「わる」を登用して危機管理の掌を司どらすべきなのです。危機に前例などないのだから常識的な人より乱世型で常に発想の転換が図れる人が必要なのです。 (内閣安全保障室長 佐々淳行)
(前島原商工会議所会頭)
2003年11月15日