ちょっといっぷく 第41話
第41話 ボルサリーノの帽子
帽子をかぶると禿げになる(勿論迷信だと思うが)といわれ、当方は帽子をかぶらなくても禿げになっているわけで、別段気にする必要もないわけだが、今まで帽子には縁がなかった。
平成11年1月に「慢性硬膜下血腫」と診断され諫早の病院で手術をうけた。今日まで入院の経験もなく五体満足を自負していたが、頭皮と脳味噌の間に液状の血腫ができており、頭皮を切って血を抜く手術である。
この血腫が脳を圧迫して、脳が小さくなり、脳が小さくなるということは、全く子供に帰るということであって、幼稚なことさえ間違えたり記憶力が急激に低下、ワープロはおろか、字も書けないという経験をした。
医者から、なにかで頭を強く打ったのではないかとしつこく聞かれたが、その記憶はない。しかし意識するほどの強い衝撃でなくても、日常コツンとなにげなく打ったことはあるだろうといわれて、それくらいのことは、過去に何回もあると答えた。それがいけないのだそうだ。
上京して永田力(画家)さんにその話をしたら「頭を保護するために帽子をかぶれ、ソフト帽がいい。新宿・伊勢丹でボルサリーノの帽子を買ったらどうか。値段はちょっと高い(4万数千円)が、イタリアのギャング、アル・カポネがかぶって映画にでてくる。似合うとおもうよ」とおだてられ、新宿で買った。
男も70歳過ぎたらオシャレをすべきといわれているが、われわれの年代は多少照れくささがある。力さんの甘言にのせられて、イタリアのギャングの親分になったつもりで一人悦にはいっていた。頭の手術の経過をしらべるために、島原の主治医から「東京に甥ごさんが杏林大学医学部の脳神経外科の教授でおられるのだから一度診てもらったら」と助言をうけていたので、ボルサリーノの帽子をかぶって三鷹駅まで行きタクシーに乗った。運転手と雑談をしている間に、運転手に教授に間違えられ医学部の本館に連れていかれた。人は衣裳によってかくも評価がかわるものかと感じいった次第。東京から新幹線で大阪まで行き、弟と新大阪の中央出口で落ち合う予定であった。弟は小生をさがすのにキョロキョロしている。みなれない帽子をかぶっているのでみまちがえたらしい。そばにゆくまでわからなかった。勿論その日は、ボルサリーノの帽子を酒の肴にして何回も乾杯をかさねた。全日空の機内誌「翼の王国」3月号に、嵐山光三郎の『ボルサリーノの帽子』というエッセーが掲載されている。アラン・ドロンが映画「ボルサリーノ」に出演したことを初めて知った。
前述の甥ごは、いま大阪市立大学(大学院)医学部脳神経外科の教授になっているが、現代は教授を採用する場合、全国から公募するのだそうだ。全国からの応募者80名のなかから1名だけ厳選されたのだという。
(島原商工会議所会頭)