ちょっといっぷく 第15話
第15話 ある危機体験
会社の経営をしていると、思いもかけない危機に遭遇することがある。
これは昭和63年8月の出来事だから、12年程前の話になる。当時私は本業のA社の他に、B運送会社の社長も兼務していた。
事件は、当社の大型トラックが島根県安来市で、道路工事で停車中の前方車に追突事故を起こした。追突された乗用車は大破、運転手他1名は3週間の加療を要する怪我。悪いことに相手の経営者は、広域暴力団Y組系の代行業者である。まさに最悪の事態が発生したのだ。
正直言って真ッ青になる位動転したが、社長という立場上、どういう決心をし、どのように実行すべきかを考えた。追突事故は100%当方に非があり弁明の余地はない。ならば誠意をもって謝罪するしかない。謝罪は一刻も早い方が良い。それもトップが出かけるべきだとの結論に達した。
手強い相手かも分からぬが、殺されることもあるまいと覚悟を決め、翌日一番に、あるだけの現金をかきあつめ福岡空港から米子行きの飛行機に乗った。双発のプロペラ機であったが、ガタガタ揺れる。随行のH君が「大丈夫でしょうかね」こちらは飛行機が大丈夫かと聞いていると思い大丈夫、大丈夫と答えていたが、本人は着いてから先のことを心配していたらしい。
米子市にある代行業者の事務所へ直行した。相手から出された名刺には、金ピカの菱形の代紋入りでK組、舎弟何某と印刷されていた。H君が記念に残しとかんですかといって、後で大笑いになったが、その時点ではそんな余裕はない。
早速今回の事故は、当方が100%悪い。部下の過失は社長である私の責任である。小さな会社ではあるが、出来る限りの償いはさせてもらう等々誠意と熱意をこめてお詫びした。
相手は一言も発せず、黙って聞いておる。これは薄気味悪かった。暫くの沈黙のあと、九州から来たのかと言うから、今朝一番に長崎から飛んできたのだと答えると、「よし分かった」なにが分かったのかと半信半疑でいると、誠意が分かったという意味らしい。
怪我人が痛い目にあっているのだから見舞いに行きたいといったら、その必要はない、こちらでちゃんとするから任せろという。
結局、弁償額その他については殆ど保険の範囲内で収まり、手出しは僅かですんだ。
手打ち式で一杯やりましょうといったら、俺の知った店があるからというが、本人は酒は一滴も飲まないのだという。丁重にご辞退して内輪だけでお神酒を傾けた。
これにて一件落着となったのだが、後日お礼にと思い活車海老を送ったら、お返しに大きな箱に梨を一杯詰めて送ってもらった。暫く暑中見舞いや年賀状のやり取りを続けたが深入りは禁物と当方で不義理したらその後音信は途絶えた。
こういう経験は、二度としたくないが、窮すれば通ず、トップはピンチに直面して逃げては駄目、覚悟を決めて正面突破をはかれば道は必ず開けるという教訓を学んだ。
悪い情報は早く、よい情報はゆっくり
(ナポレオン)
(島原商工会議所会頭)
2000年(平成12年)9月5日